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ひとしずく

シンプルな暮らし 日々の小さな「ひとしずく」をつづります。

大河に身をまかせたい

 

「運命」と「自由意思」

 

人間の生まれてから、死ぬまで全ての営みは、脳にプログラミングされている・・という説があります。

 

確かに、人生には抗うことのできない、「運命」という荒波に呑み込まれることが、あります。

 

では、人間には「自由意思」はないのでしょうか?

 

ある番組を見ていたとき、「自由意思」とは、ハードル走の「ハードル」みたいなものだと、解説していました。

 

スタートからゴールまでを、どれくらいのタイムで走りきるか、ハードルを何個飛び越えることができるかは、「運命」で決められているから、変えることはできない。

 

唯一変えられるのは、「ハードルの高さ」だったり、「ハードルの間隔」。

 

そういうものは、自分の意思で好きに動かせる・・と、いうのです。

 

 

この話を、私が敬愛するヨガの先生に話すと、「そうだと思う」と、言われました。

 

私は、自分の人生に並ぶハードルを、わざわざ高く設定してきたかもしれません。

そして、それを飛び越えることに、快感を感じていたのかも。

 

しかし、そもそもハードルを越えられる、越えられない、が、初めから決まっているのなら、「高いハードル」にする意味があるのか・・?という、疑問に当たりました。

 

私の相棒、従姉妹は、「人生は大河に身をまかせるように生きるものだ」と、教えてくれました。

大きな流れに、ゆ~ったり身をまかせる。

流されるままに、流され、たどり着いたところで、やるべきことをやれば良いと。

それが「真我」だと。

 

でも人間は、ついついその流れに逆行したり、流れにまかせることを否定したり・・ジタバタしたがる。

そういう生き方を「自分の切り開いた人生」だと、思うのです。

それが「自我」。

 

 

私はまだまだ人間が未熟で、この「真我」と「自我」を行ったり来たりしています。

 

 

 

本当は、大河に身をまかせたい。

でも、それを許さない「自我」が、私に高いハードルを用意するのです。

 

 

皆さんの人生は・・?

「真我」ですか?「自我」ですか?